6月20日~21日 建設首都圏共闘会議 福島原発視察実施
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が起こり、福島では津波と原発事故の未曽有の複合災害にみまわれました。
8年たつ福島・大熊町の1F(福島第一原発の略称)の視察を毎年おこなっている建設首都圏共闘会議(松本久人議長・東京土建副委員長)は6月20日1Fの廃炉作業の状況確認、現場視察と要請、21日は大熊町、双葉町との懇談、除染工事元請ゼネコン事務所への懇談、環境省福島事務所への要請、福島県労連との懇談をおこなってきました。
行動には、東京・千葉・埼玉・神奈川の土建労組、東京都連、国土交通労組関東、建交労東京の組合員13人が参加しました。
8年前に国が発令した「原子力緊急事態宣言」はいまも継続しています。放射能セシウム137は放射線が10分の1まで下がるのに100年かかるそうです。国はいまも解除できないのです。廃炉作業が続く構内視察に際して、私たちは厳重な受付・測定検査を通り、一人ひとり胸には放射能測定器をぶら下げていましたが、約1時間の構内視察では、測定器の数値が「0.00」を超える反応は一度もありませんでした。構内の96パーセントは完全防備の作業着が無くても作業が可能なまでになったと東電は説明していました。敷地内の私たち視察団も、普段着のまま送迎用バスの中から1号機から4号機を約30メートルの所まで接近しました。その時です!バス内で東電社員が、放射能測定器の測定値は「…いま280マイクロミリシーベルトを超えました…」と淡々と告げます。「ええ!」と私は一瞬恐怖が走りました。放射能は五感で感じられないと言われています。感じられるほど放射能が存在していれば、人間は簡単に死んでしまう、その恐ろしさにです。それほど猛毒物質だとあらためて気づきました。この日、構内の作業員数は3440人でした。構内視察が終わり、その後、廃炉資料館で東電との懇談と要請を行いました。参加者のうち3人が福島生まれもしくは親族がおり、我がこととして、廃炉にむけた東電の姿勢を厳しく問いかけました。 中には親族が亡くなっている人もおり、東電側が謝罪する場面もありました。
原発事故の当事者責任は東電にあります。すすめてきた国の責任が大きいと思いますが、いまだ誰一人として責任が問われていません。
復興の掛け声のもと、風評被害や避難解除、住宅支援打ち切りなどにより心身共に押しつぶされ避難困難となっているたくさんの住民のみなさんがいます。平穏に暮らしていた人々が、未来の明日を一瞬で奪われた人たちです。 私は、きちんと放射能に向き合ってこなかったのではないかと自戒をこめて考えさせられました。「原発ゼロ」の日本、世界をめざすしかないと、強く心に誓った視察でした。【東部支部合同労組分会神田 豊和】